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須磨 大聖寺 住職のご挨拶

​住職のご挨拶

住職 田中眞和
副住職 田中眞譽

心安く、気持ちに寄り添うご供養を

インターネット上では「永代供養 管理費」、「法事 用意するもの」といった検索ワードで情報を求めている方が多く見受けられます。誰かに教わる機会もなく、聞いてもはっきり答えてもらえず、迷っていらっしゃるであろう様子が伝わってきます。

 

当山では、過ぎたご負担を求めたり、しきたりや慣例をみだりに強いたりはしません。仮に多少昔ながらの形を外れても「こうすれば故人様が喜ぶのではないか」とお考えであれば構わないと考えています。どんなことでも、まずはお話しになってみてください。

 

「冠婚葬祭」という言葉は、「冠=元服」、「婚=結婚」、「葬=葬儀」、「祭=先祖供養」を表しています。つまり法事は「祭」というわけです。法事はしめやかに行うものとされますが、親戚同士が定期的に集まり、一族の絆を深める、そういうお祭りのような一面があってもいいのではないでしょうか。

須磨 大聖寺 住職のご挨拶
 須磨 大聖寺 住職のご挨拶

​大聖寺由来

当山のご本尊は大日大聖不動明王(お不動さん)であります。私が京都市北区「志明院(岩屋不動)」に生まれたことから、同じ不動明王を御本尊とし、志明院の開基である弘法大師・空海が開いた真言宗を布教しております。

不動明王とは衆生の煩悩を断つが為、真言教主、大日如来が憤怒の姿に変じ、右手に持った索(縄)で煩悩を縛り、左手に持つ剣で邪悪を切り、背中の火焔で闇を照らし災難を焼き尽くし、生けるものは正しき道に歩ませ、亡者は必ず浄土へと導き給う霊験あらたかな御仏であります。

 

こう申し上げますといささか敷居が高そうに感じられるかもしれないのですが、みなさまには、当山とあまり形式にとらわれず気楽にお付き合いいただければと思っています。生きる道に迷った時、大切な方を亡くした時、当山本尊の功徳力に依るご加護を戴きにいつでも参詣下さい。

大聖寺由来
住職からのご挨拶ご挨拶

​大聖寺の考えーー

「その時」を心穏やかに迎えるために

大切な方を亡くされた際、葬儀社やお寺のあてがなく、どこへ連絡すればよいか迷う方も多いと耳にします。

当山へご連絡をいただければ、どういったお葬式にしたいかなどのお話をうかがって、私たちが葬儀社の手配をいたします。慌ただしい中でいきなり葬儀社を選ぶことには不安もあるものです。「お寺さんが間に入って相談に乗ってくれる」ような気持ちで、頼っていただければと思います。

今はまだその時ではなくても、もしもの時のために、事前相談にいらっしゃるのもおすすめです。落ち着いた状態でアドバイスを受け、「いざという時どうするか」をあらかじめ考えておくことは、関わる方みなさまの安心につながるのではないでしょうか。

須磨 大聖寺 住職のご挨拶

​大聖寺の考えーー

葬儀・法要はなぜ行うのでしょうか?

​真言宗では、葬儀は出家式のひとつとされています。出家というと「生きている人が僧侶となるために行うもの」とイメージされがちですが、実は「亡くなられたことを機に、出家して仏弟子になる」方のほうがずっと多いのです。

 

そして「初七日」や「四十九日」でよく知られているように、葬儀の後は七日ごとに法事を営みます。これは、亡くなった方が仏の世界で必要とする教えを、七日ごとに七尊の違う仏様に逢って修行し身につけていくとされているから。いわば、7人の先生のところへ、週ごとに順番に回って教えを乞うわけですね。

参列される方々には、ここから仏様の世界を歩いていく故人様を最後にお見送りするような「今までのような形では会えないけれど、この先も歩んでいかれるのだ」という気持ちでいていただくとよいのではないかと思います。

大聖寺の考え

​大聖寺の考えーー

永代供養は「菩提寺」以外でもよいのでしょうか?

永代供養とは、ご遺族の代わりに霊園や寺院がご遺骨を管理・供養することをいいます。地域のお寺の檀家として、先祖代々のお墓を守ってきたようなご家族ですと、この永代供養も檀家となっている菩提寺に依頼するか、新たに依頼先の檀家となる必要があるのではないかと考えることがあるようです。

 

近年の永代供養は檀家以外や、宗派・宗教を問わずに受け入れることが増えています。当山も「真言宗の考えに則って供養する」ことを受け入れてくださる方であれば、檀家になっていただかなくても、宗派・宗教の異なる方からでもご相談を承っています。​​

須磨 大聖寺 住職のご挨拶
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